雑記ブログ

【2026.02.17】やっぱりエッセイが書きたい

やっぱりエッセイが好きだし、書きたい。なんでかわからないけど、昨日改めてそう思った。

最近はくどうれいんさんのエッセイを読んでいる。途中まで読んでそのままにしていたが、昨日ふと「読み切りたい!」と思って、近所のカフェに駆け込んで続きを読んだ。

結局そのカフェでは読み終えられず、帰宅してからもう一度続きを読んで、ついに読み終わった。普段あまり「本を読み切る」ということには重きを置かないのだが、このエッセイはなぜだか読み切りたかった。読み切らないといけない気がした。

なんでこんなにもエッセイに惹かれるのだろう。現実の話だからかな?

ファンタジーものの漫画とかめちゃくちゃ読むくせに、好きなくせに、なぜか文字のみの本という媒体になると、途端に現実を感じたくなるのはどういった現象なのだろう。

イラストというもの自体が、フィクションみを強く感じるからだろうか。

いくら自分のことを描いていても、多少は美化して描いてるだろうと思ってしまうのだろうか。わからない。わからないが、文章の方が、その人が感じたことをなるべく新鮮な鮮度で感じられる気がするんだ。なんとなくだけど。

今、酒井順子さんの「日本エッセイ小史 人はなぜエッセイを書くのか」という本を読んでいるのだが、なかなか興味深くて面白い。エッセイ、または随筆は、紀貫之の時代からあったらしい(これをエッセイと断定していいのかはわからないが)。そんな昔の人も、自分の心のうちを文章に書いて起こしたい気持ちがあったんだなあと思うと、わたしのこの「エッセイを書きたい!!!」という気持ちもなんらおかしくないように思える。

確かにわたしはエッセイを書きたいが、それはあくまで自分の心のうちをどうしても自分の中だけでは抑えられなくて、溢れだしたくて、書かざるを得ないというだけのものなのではないかと思う。こうしてダダダーっと書ききった後は、まるでサウナに入った後のような整いが訪れるのだ(サウナ入ったことない)。

もしこの先エッセイでお金を得ることはできなくても、それでもわたしはここでエッセイを書き続けるだろう。それはわたしにとってある種の生命活動だからだ。人間が当たり前に呼吸をするように、わたしは当たり前のようにエッセイを書きたい。エッセイというと聞こえはいいが、ようは日記をただつらつらと書いていたいのだ。頭が考え事でごっちゃになってパンクになるのを防ぐために、わたしはわたしのケアをするために、きっと明日もわたしはエッセイを書くだろう。