雑記ブログ

【2026.02.07】儚きあの日のトキメキゴコロ

最近、少女漫画原作のアニメを純粋な気持ちで見れなくなってしまった自分がいる。幼少期に買ってもらった「ちゃお」から始まり、自分のお小遣いで「なかよし」を買うようになり、小学校高学年あたりからちょっとオトナな「少コミ」を買うようになり、わたしの幼少期は見事に少女漫画に支えられていた。

現実には見たこともないような設定も好きで、突然アイドルデビューしちゃう話とか、出てくる男子が全員ヒロインのことを好きになるとかそういった展開も大好きだった。大好きというか、なんの違和感もなく見ていた。それは「高校生になったらこんな風になれるのかあ」と夢見ていたわけではなく、ただ物語として純粋に楽しめていた。

だけど最近、なぜか見れなくなってしまった。少女漫画原作のアニメが。漫画はまだそこまで抵抗感はないのだが(それでも当時に比べるとだいぶ斜に構えた目線で見るようになってしまったが)、アニメがどうしても「ハ~~ン??」と言ってしまう。なんでだろう。動きが加わることにより、こちらに妄想する隙を与えない感じが、フィクションとノンフィクションの境界線を曖昧にしてしまうのだろうか。なぜか、ワンシーンごとに「ちょっと待てい!」と言いたくなってしまうのだ。

初対面の男の人に突然言い寄られて頬を染める主人公を見て、「こんなカッコいい人にそんなこと言われた~~い!!」とキャッキャすることができない。普通に引いてしまうかツッコミをしてしまう。こんなん現実でいたらこわいだろ!顔がいいことだけにときめいていないか!?といらん野次をひとり部屋のなかで飛ばしてしまう。

そもそもフィクションなんだから、現実とはかけ離れた物語を描くことは何も悪いことではない。むしろ物語の中でくらい現実忘れさせてくれよと思う人の方が多いのかもしれない。では、この現象はなんだ。わたしの見る目線が歪んでしまったのか。はたまた時代の流れがわたしにそう思わせているのか。フィクションと現実の差をある程度理解してしまった時の流れのせいなのか。

いっそ、鬼と戦うとか、海賊バトルとか、現実にありえなさすぎるものなら受け入れられるのかもしれない。少女漫画によくある「学校」という舞台で「そりゃあまりにも現実離れしすぎてるだろ!」というシチュエーションに拒否反応が出ているのかな。なんなんだろう、この気持ち。それとも、リアルな学生たちにとっては当たり前の光景なの?自分が過ごしてきた学生生活とはギャップがありすぎるからついていけないのかもしれない。そうならもう仕方ないとしか言いようがない。

リアルにちょっとだけ救いがありそうな物語ばかり選んでしまうのは、わたしが今あまりにも現実でウダウダもがいているからかもしれない。もし現実を生きるわたしの実生活がめちゃくちゃ充実していて、悩みも少ないなら、また観る作品は変わってくるのだろう。そう考えると人間って面白いな。確かに最近本屋に行っても漫画コーナーではなく真っ先に自己啓発本のコーナーに行ってしまうものね。本を読んだだけで現実が変わるわけではないのに、それでも「リアルを生きるわたし」を少しでも救ってくれる本はないかと探してしまう。それは漫画の中にはなく、自己啓発本の中にならあると思い込んでしまっているわたしの深層心理なのかもしれない。漫画に学ぶことだってめちゃくちゃあるのにね。昔から漫画を読むことを否定され続けてきた弊害なのかな。それは言いすぎかな。

フィクションを純粋に楽しむにも、たぶん気力や体力、精神力がいると思う。精神力というか、心の土台が整っているかどうか。自分を認め、受け入れ、人と関わり、社会と関わり、愛を見つけ(というとなんか高尚ではずい)、そうして整えたうえで見るフィクションは、また今とは違って見えるのだと思う。そうか、フィクションを楽しみ切れる土台が今ないのだ、わたしには。だからむやみやたらに自己啓発本を探してしまうのだと思う。

あと数十年は生きる(予定)なのだから、こういった時期もあっていいのだと思う。何年後かに自分の土台が整ったら、またときめき溢れる漫画やアニメに浸れる日が来るのだろう。